海や山などの自然に死者を帰したいと思うソレと、山などを造成した墓地に遺骨を埋葬したいと思うアレとの間には、どのような着想が介在するのでしょう。そして、葬儀は、どのような意識の中で育まれてきたのでしょうか?
僕は、2001年1月20日、海での散骨(自然葬)を岡山県で初めて行いましたが、友人のヨット乗りは、「自分は、鳥葬が良いな。だって、棺桶用木材の消費もバカにならないし、(死後とはいえ)焼かれるなんて気持ち悪いじゃないか」と言います。鳥葬とは、山に設けた石の祭壇に遺体を寝かせておくとハゲワシが来て片付けてくれるというチベットなどで今も行われている葬送の一つ。
ヒマラヤには、遺体を焼くための材料が少ないというのも理由の一つらしいですが、ハゲワシが遺体を食べやすいように遺体の関節を外し、硬い頭蓋骨も石を落として割るという作法には流石に驚かされます。腑分けするという感覚は、僕には怖くて想像すらできないのですが、パートナーは、「このままアナタと向かい合っていけたら出来るわよ!」と力強く宣言してくれたのでした(汗)。