宇野港フェリーターミナル整備事業

宇野港フェリーターミナル整備事業への参画

岡山県が策定していた宇野港再開発事業(1994〜2006)の一環で当時、日本全国で第2位の輸送量を誇っていたフェリー乗船施設にも新たなターミナルとしてのリニューアルが求められ、代理店としてお世話になっていた四国汽船と小豆島フェリー(現・小豆島豊島フェリー)の2社から弊社の社屋を兼ねた施設を作らないかとの相談を受けました。当初は、岡山県が全ての港湾設備を整備する予定だったようですが、フェリー各社が自前のターミナルを建設することが求められたとの事でした。

当時、宇野港再開発事業に関係していたフェリー会社が税制上で有意な予算で必要十分な施設を作るには、弊社の出資も有用と考えられたようで、叩き台を作るよう指示された自分は、東京で雑誌の編集に携わっていた頃にお世話になった写真家・藤塚光政さんに相談し、建築家・中川俊博さんを紹介していただきました。概要を把握した中川さんは、基本計画を国と岡山県、離島航路のフェリー 会社に提示すると共に、予算の不足分を補うアイディアを提案。宇野港と高松港を結ぶ航路を運営していた会社にも全体計画に加わるように説得してくれたのでした。

宇野港フェリーターミナル全体計画(図面提供:中川建築デザイン室

宇野港フェリーターミナルは、人流港という人中心の港であり、また、多摩の市街に近接している立地から、街づくりに関連する計画が地元から求められてきた。

配置計画はまず、港内に2本設置される浮き桟橋に沿って離島航路ゾーン、本四航路ゾーンに分け、浮桟橋から市街地へ伸長していく歩行者専用通路を設け、広い港内での歩車分離を実現し、利用者の安全確保を最優先に計画している。

各南北に伸びた導線の海側にそれぞれの待合室を配し、利用者の利便性を考慮した。また、待合所は規模が小さい為、オンシーズンや本四連絡橋の不調によるJR客の来港時にも対応すべく、海側に安全な屋外待合広場を附設している。

埠頭用地中央には、海の見えるフェリー広場としてテラコッタ・ブロックなどで舗装したイベント広場を設け、港祭りなどの海のイベント広場にも利用できるスペースとして整備を提案している。この広場へは歩行者専用通路〜待合所〜屋外待機広場を経由してアプローチできるよう、各要所には緩やかなアプローチ・スロープを設置しており、バリアフリーな海の玄関口に相応しい設備を整えている。また、市街地と待合所を結ぶ歩行者専用通路には、全天候型キャノビーを設け、利用者の快適性を充実させている。

海の見えるフェリー広場は、緊急時の離発着にも耐えうるテラコッタ・ブロックで歩行者専用通路。屋外待合広場は、硬質木材・イペによるボードウォーク整備を目指しており、あたかも船のデッキが街に伸びて行くかのような環境整備としての計画を提案している。構内照明灯はメンテナンスを考慮し、高さ4メートル程度の位置に放電球を設置し、梯子などでの日常メンテナンスを可能にすると共に、帆船のマストをイメージさせるデザインとして、海の玄関口を演出させるように考えている。

各施設には、初めての来訪者が迷わぬよう、統一された案内サインと共に離島航路棟を東風館、本四航路棟を西風館といった機能だけではない、街づくりに連なる新しい時代の人流港をイメージさせるネーミングも計画中である(中川俊博)。

宇野港フェリーターミナル整備事業の画像
宇野港フェリーターミナルの離島航路棟(2012)

結果的に歩行者と車両の導線を明確に分離するボードウォークやテラスを持つ施設は、2002年9月に日の目を見たのですが、その途上では、フェリー会社の我田引水的な動きもあり、街づくりに繋がる提案が大幅に後退し、建築設計事務所が施工の管理から外されたり、弊社も当初の計画から「放逐」される事になりました。この案件について振り返ると、自分の身の程知らずにゾッとします。能力のない者が戦略も無く、やる気だけで行動に移しては、骨折り損の草臥れ儲けどころか、周囲に迷惑を掛けるだけですね。

その当時の事を改めて思い返すと、各フェリー会社にもそれぞれ複雑な事情があったように推察しますが、それから15年後の2017年3月に弊社は、代理店契約を打ち切られ、この施設内からの退去を命じられます。まあ、そのお陰で新たな船出が出来たのですが、人生は本当に山あり谷ありですね・・・2017年を振り返る 😅